来 歴


霧の時代

霧の中からも
眼を凝らせばいろいろの形は見えてくる
人の一生も
おそらくはこれと相似たものであつて
見詰める前方に
漸く誰かの形が浮かび上がつてくるのだ

ここに或る男がいて
黄金の椅子の上で
輝く太陽を鼻にかけることがあつた
思えば途方もない青春にとりつかれたものだ
さて長い年月には
風速の強すぎる日もあつて
一生を賭けて手に入れた太陽も
次第にいびつになつて来てしまつた
やがて身分不相応な冒険に
曲り傷ついた鼻の骨を
白い繃帯で巻いてくれる人も出てきた

一人現れ二人あらわれて
登場人物の数がふえると
風当たりは意外に強くなり
太陽は人々の息の中に白く濁つた
彼はといえば
不当な中傷や実のないお世辞の中に腰かけて
肩に降りつもる埃を払うのに我を忘れた
類は類を呼ぶから
払つてもはらつても降りかかる
有難迷惑や倍増しの不運や
押し寄せる霧の中で
彼は僅かな困却のしるしに黙つて歯をかむきりだ

轟々と音をたてて歴史は動いている
間段なくまわつている歯車の中では
土さえもついに粉々にくだけて
彼の足の下汚れた靴下の安息も
ぜいたくに過ぎるのだ
彼にとつて太陽も海も
ただの光と水でしかなくなつた
どうやら一生を賭けた彼の負けだ
だが彼がひきさがつたあとの
ひろびろと大きすぎる世界では
太陽は昔日の光栄をとりもどし
又もや誰かの一生に一役買つて出るだろう

今確かにそこを歩いている彼よ
霧の中からも
眼を凝らせば一本の道は見えてくる
道の終点には町があつて
町の向こうには
信ずるに足る新しい青空もひろがつているのだが
後から行く者は
誰の真似をして生きればいいのだろう
地球の堂々めぐりの後について
千万の人が彼の蹉跌をくりかえすのではないかと
不安が霧のように押し寄せるので
世界はいつまでも暗くてやりきれないのだ


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